奥穂高岳南稜の思い出
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 雪崩で倒壊した岳沢ヒュッテ
が「岳沢小屋」と名を変えて営
業を再開するという。小さな写
真入りの新聞記事でそれを知っ
た。二〇一〇年七月のことであ
る。
 岳沢ヒュッテは、僕がまだ若
くて元気に山登りをしていた頃
のこと、結果としてはそれが最
後の登山らしい登山となった奥
穂高岳の南稜を登ったときの思
い出の山小屋である。

 
  その頃、僕はこの岳沢がとても気に入っていた。上高地から登っ
 てくる道は深い木立の中で展望がきかず、決して楽しいものではな
 かったが、ヒュッテに着けば眼下に梓川の流れと帝国ホテルの赤い
 屋根が見え、焼岳のはるか向うには高くかすんで乗鞍岳も見えて、
 実に爽快な気分が味わえたものだった。
       
  僕が初めて上高地へ来た時、それはもういろんな記憶がおぼろげ
 で、もどかしく思うほどに遠い昔のことなのだが、ボンネット型の
 小さな乗合バスに揺られて来たのだった。
  大正池の手前の釜トンネルはゴツゴツとした岩肌がむき出しの、
 恐ろしく狭いトンネルで、バスの車体とトンネルの壁との間は三十
 センチほどしかないといわれ、おまけに急勾配で路面も荒れていて、
 運転手はもちろん乗客も緊張を強いられたものだ った。      
  バスは大正池を過ぎ、帝国ホテル前で降りるお客を降ろすと、 や
 がて終点の今で言うバスターミナルに着く。
  ここには、乗合バスの木造の小さな事務所と簡素な待合所がある
 だけだった。
  バスを降り、梓川の河原に下りると河童橋の上に高く穂高連峰が
 見える。白く帯のように続く岳沢の上部、穂高連峰のその扇型の要
 とでもいうべき位置に、この岳沢ヒュッテはあるのだ。
                       (下へつづく)


  ヒュテの前庭には大きな岳樺の木があっ
て、その下のベンチに腰を下ろすと、わが
国を代表するこのあたりの山岳を身近に感
じて、満ち足りた思いに浸れるのであった。
 当時、この岳沢のあたりは登山者もそれ
ほど多くはなく、天狗沢から穂高へ登る人
   もわずかであった。
    岳沢の河原へ出て、何を考えるでもなくのんびりするのもとて
   も気持ちのいいもので、一度、この河原にテントを張って一夜を
   すごし、それだけでどの山へ登るでもなく帰っていったことがあ
   った。
    物音ひとつしない真夜中に、遠く「カラカラ」といった音が聞
   こえて目が覚めたが、あれはどこかの山の落石の音だったろう。

    この岳沢から、奥穂高岳と前穂高岳の間の、いわゆる吊尾根に
   向かってまっすぐに登ってみたい。そんな思いにかられ南稜を登
   ってみようと思い立ったのは、そんなある年のことであった。

    奥穂高岳の南稜は、トリコニーと呼ばれる、まだ、登山靴の底
   が皮で作られていた頃、そこに打ちつけた金具の形に似た三つの
   小さな岩峰を登って行く。
    今日のように、インターネットを使えば居ながらにしてあらゆ
   る山の資料を豊富に得られる時代と違い、僕が登ろうとしたその
   当時では、南稜に関してはほんのひと握りの知識が得られるにす
   ぎなかった。
    岳沢の上部から南稜の末端に取り付き、トリコニーを越えて吊
   尾根に至るイメージは、以前に、望遠レンズを使って写した奥穂
   高岳南面の写真と、岳沢を登りつめて南稜の末端から観察した結
   果で概略できてはいたが、あとは行ってみなければわからなかっ
   た。

    岳沢ヒュッテの朝、ようやく明るくなりはじめたガラス窓に、
   寝ぼけた顔を近づけて外を見ると、昨夜からの雨は小降りにはな
   ったがまだ降り続いていて、上空はどんよりとした暗い雲に覆わ
   れていた。風はなく、雲の動く気配はない。天気予報が良くない
   方向へ外れたようだ。         (はじめに戻る


    少し早くここへ着いた昨日の午後、ヒュッテに荷物を置いて扇沢
   の出会いまで遊びに行った頃は、まだ空も明るくて雨の気配はなか
   った。それが夕暮れ時になって急にポツポツと雨粒が落ち始めたの
   だった。
    まだ少し眠たくて、これ幸いとふとんにもぐりこみながら「いつ
   かも、こんな朝があった」と、ぼんやり考えていたが、知らない間
   に眠ってしまったらしく、目が覚めてみると部屋の中はすっかり明
   るくなっていた。
    雨がやんだようなので、土間に降り下駄をつっかけて外へ出てみ
   る。
    岳沢の河原のむこうに見える上高地一帯は、
   薄いモヤがかかってはいるものの、よく見えて
   いる。目のとどく周囲の山々も、その中腹まで
   は緑の色が明るくなり始めていて、見上げると
   上空の厚い雲にもわずかではあるが、明るさが
   見えてきていた。天候は確実に回復しつつあっ
   た。
    目の前の明神岳に近い谷筋では、白い雲のか
   たまりがまるで時間が止まったかと思えるほどのゆっくりとした速
   度で稜線に向かって立ちのぼっている。
    風が出てきた。気まぐれのように時折サッと吹き抜ける風に、小
   屋の前の広場の大きな岳樺の梢からパラパラと音を立てて雨粒が落
   ちてきて、また雨になったかと驚かされる。 
    小手をかざしてその梢を見上げていると、重く垂れ込めていた灰
   色の空の片隅が、突然まぶしいほどに白く輝いて、そこに鮮やかな
   コバルトブルーの空が現れた。雲の切れ間は、まるで手を伸ばせば
   とどきそうなほどに近い。
    ヒュッテの軒先で空を見上げていた人たちが、少しずつ出発して
   ゆく。いずれも上高地へ向けて下ってゆく人たちだ。
    九時少し前、ヒュッテの中はすっかり人気がなくなった。昨夜同
   じ部屋に泊まった人たちが前穂高岳へ向けて出発し、はっきりしな
   い空模様に、どうしたものかと迷っていた元気なおばさんたちのグ
   ループも出かけることに決まったようだ。残っているのは僕と、今
   日はもうどこへも行かないという三人の人たちだけだった。
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    九時が過ぎた。奥穂高岳の南稜を登るためにやってきた僕にとっ
   て、もう出かけなければならないぎりぎりの時刻である。今日一日
   で南稜を登って奥穂高の山頂に至り、吊尾根を経て戻ってこなけれ
   ばならない。だが、「普通の道なら大丈夫だろうが、南稜はねえ。
   もう少し待ちましょう」小屋の人にそう言われては、それでも、と
   出かけるわけにもいかず、また小屋の前の広場へ出て空を見上げる。
    明神岳の上空には抜けるような青空があった。目の前の岳樺の枝
   が風に揺れて、雨に濡れた黄緑色の葉が日の光を受けてキラキラと
   輝いている。

    十時少し前、「これ以上良くはなるまいが、悪くもならないだろ
   う」という小屋の人の言葉をしおに、僕は南陵の取り付きへと向か
   った。
    岳沢の雪渓の最上部でシュルンドを飛越える。霧が濃くなり何も
   見えない。草付きまじりの階段状になったルンゼを登る。昨夜の雨
   のせいで、かなりの水が流れ落ちていてシャツやズボンが濡れる。
    短い時間、霧が薄くなって薄日が差したように明るくなるが、ま
   たすぐに元へ戻ってしまう。
    岩壁になって行き詰まる。右手のブッシュの中を登る。話す相手
   もなく一人黙々と登る。   
    トリコニーの下の尾根に出てひと休みする。さえぎるものがなく、
   ストンと切れ落ちた滝沢に吸い込まれそうで恐ろしい。
    天候は相変わらず良くないが、今はただ登るだけだ。
  
    いつもそうなのだが、遠い山へ来るたびに「ここへはもう二度と
   来ないかもしれない」と、そんな思いがわく。
    カメラを持ってこなかったことを悔やむ。天候が思わしくないこ
   の日の状況を考えて、重いカメラは持って来なかった。今では当た
   り前のようになっている小型軽量なデジタル方式のカメラに比べ、
   当時のものはとても重いものであった。カメラだけではない。衣類、
   雨具も意外に重い。テントはこれまたとても重いものであった。
    時代は変わって、今はどうだ。登山用具店に並ぶ商品の豊富さと、
   それぞれにみられる機能面での素晴らしさは目をみはるばかりであ
   る。それにしてもまあ、よくもこれだけ、と言葉もないほどの品揃

   えである。     
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    いつの頃からか、中高年の登山者、中でも女性の登山者が目に見
   えて多くなったひとつの理由に、この用具の改良と豊富さがあるの
   ではないだろうか。カラフルなザックや衣類。小物類は選ぶのが難
   しいほどの品揃えで、まるでスーパーマーケットで買い物をするか
   のごとく、楽しく手軽に求めることができるのである。
    頭の先からつま先まで、最新の用具をそろえれば、もうどんな山
   でも登れそうな気がすることだろう。
    だが、自然はそう甘くはない。確かに装備というものは登山者に
   とって重要なもののひとつではあろうが、そればかりではなく、大
   自然とうまく付き合うためには、体力も要り、それなりの経験も必
   要なのであるから。

    十二時を少し回った。再び登り始める。霧が濃い。風はなく、耳
   を澄ませても物音ひとつ聞こえない。「トックトックトック」とい
   う心臓の鼓動が聞こえそうなほどに静かだ。
    乾いた花崗岩が硬い。腕力が要る。トリコニー第一峰と第二峰の
   間、イワカガミを見ながらハイマツの尾根を登る。相変わらず霧が
   濃く何も見えない。
    トリコニーを越えると次の岩峰までは素晴らしいナイフリッジの
   登りである。慎重にここを通過するとやがてガレ場に出た。まさか、
   と思いながらも「オーイ」と呼んでみる。すると驚くほどに近く霧
   の向こうから声が返ってきた。声の方角からすると前穂高岳から吊
   尾根をこちらへ向かってくる人のようだ。
    小屋を出てから四時間近く、ほとんど視界が得られないにもかか
   わらず不安というものは皆無であった。だが、こうして人の声を聞
   くとホッとする。進んでいる方向は正しい。
    ガレ場からすぐ広い尾根に出る。右手に雪渓を見てヤレヤレとひ
   と息をつき腰をおろす。ウスユキソウ、シナノキンバイ、アオノツ
   ガザクラ、そしてイワカガミなどの花が風に揺れている。大きな雷
   鳥がすぐ近くを歩いている。緊張がほぐれる。時折上空が明るくな
   って霧に温かみを感じる。何も考えずに眼を閉じていると眠気を感
   じるほどの心地良さだ。大の字になりたいほどの開放感。

    ああ、そういえば、先年霞沢岳を登って徳本とくごう峠へ下りたときも、
   ちょうどこんなふうだった。
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    六月のある日、まだ残雪に覆われた八衛門沢から霞沢岳をめざし
   た。山頂に達してのち下ったのは徳本峠への道である。峠に出てそ
   こで古びたベンチにゴロンと横になった。時折風が揺らすクマザサ
   の音が聞こえ、それが止むと、あとは耳の奥がジーンと鳴るのが聞
   こえるほどの静かさであった。かたわらの大きな木の梢を見上げな
   がら、ふと、「今、この広い山の中にいるのは自分一人ではないだ
   ろうか」と考える。
    朝から今のこの時間まで一人として人の姿を見てはいない。(そ
   の当時、この辺りの山は、霞沢岳も六百山も、一般的な登山の対象
   ではなかった)万が一、自分の身に何かがあっても助けてくれる人
   はいない。助けを呼んでも、誰にもどこにも声が届くことはないの
   だ。一人きりで山へ入るということはそういうことなのだと、あら
   ためて思う。
    人が生きて、この広い世の中の何処かにいるということは、案外
   これに似ているのかもしれない。その人が、今そこに生きていると
   いうことを、この世の中の、はたして幾人の人が知っているだろう
   か。人が一人生きてゆくということは、それほどに寂しいものなの
   ではないだろうか。

    吊尾根から奥穂高岳の山頂までは五分ほどの距離であった。今朝、
   岳沢ヒュッテを先に出て前穂高岳ヘ登った人たちが到着して話をす
   る。話がはずんで楽しい。
    風が強く寒い。視界は十メートルほどだ。しばらく休んで奥穂高
   岳の山頂をあとにする。吊尾根を渡り、前穂高岳への分岐点でひと
   休みして、あとは一気に下った。     
   
    南陵を登ったこの日から三十年余り。子供
   たちと共に登った加賀の白山や木曽の御岳
   を除けば、その後僕は山へ行っていない。    
    体力的にはまだまだ、という年齢で、な
   ぜ山から遠ざかってしまったのか。その頃
   のことは、あまりにも時間がたちすぎてし
   まっていて正確に思い出すことはできない。
    子供が成長するにつれて、家族に対する責任感であるとか、それ
   ほど格好のよいものでなくとも、ひとつの世帯を預かるものとして、
   自分の気持ちの中で変化するものがあったのであろう。
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    おりしも今日、偶然にも初夏の上高地を描いたテレビのドキュメ
   ンタリー番組を見た。
    河童橋にはたくさんの観光客が行き交い、新緑のヤナギ、澄み切
   った梓川の流れが美しく映っている。残雪の穂高連峰が見える。天
   狗岩が見える。コブ沢は残雪が豊かだ。懐かしさがこみ上げる。
    かつて、心を踊らせて眺めた風景が脳裏を駆け巡る。自分の心の
   なかにある「寝た子」を起こしたくないと、山を離れて以来ずっと
   こうしたテレビの番組や雑誌の記事を避けてきた。
    「あの山へも行きたかった。あそこへはまだ行っていない。なぜ
   行かなかったのだろう」、時折そんな後悔もした。だから、つとめ
   てこうしたものを見ないようにしてきた。
    画面は新緑の林の中を行く登山者を映している。カラマツの林の
   中にウグイスの声が明るく響く。川の流れの音が聞こえる。わけの
   わからない熱い想いが胸にこみ上げる。
    画面は再び穂高連峰を映している。「今、もう一度あの頃のよう
   にあの道を歩いてみたいと思うだろうか」自分にそう問いかける。
    心に答えは浮かばない。懐かしさと、かすかな後悔と、そしてあ
   きらめの気持ちとが交錯して答えに到達しないのだ。懐かしい情景
   を見て心が踊ることと、現実にもう一度その場に出かけたいと思う
   気持ちとが結びつかない。
    人はある年代に達すると、自分の人生を振り返って、そこにある
   種の満足感とあきらめを覚えるもののようである。それは、欲を出
   さず、無理な行動をひかえて晩年を平穏に過ごすために、人が自ら
   身につけたひとつのチエなのかもしれない。
    ひと時目を覚ました子をもう一度寝かしつける。楽しかった山の
   思い出は多い。だから、これで良しとしなければなるまいと。

    テレビの番組は、厚い雲におおわれた穂高連峰を映して終わった。
    河童橋を渡り、右に折れて深い木立の中を行く、かつての情景が
   脳裏に浮かぶ。冷たく澄んだ梓川の流れと新緑のヤナギ。豊かな残
   雪をまとった輝かしい穂高連峰。思い出の中の、はるかな岳沢への
   道を、僕はゆっくりと登ってゆく。あの日、奥穂高岳南稜から無事
   に戻った僕を、温かく迎えてくれたあの岳沢ヒュッテへ向けて。
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